プロフィール
伊吹達郎
伊吹達郎
第69代草津市議会議長、第61代草津市議会副議長、草津市議会議員(4期)、プロジェクトK代表、文教厚生常任委員会委員長、産業建設常任委員会委員長、予算審査特別委員会副委員長、都市再生特別委員会副委員長、ゼロカーボンシティ特別委員会委員長、議会運営委員会委員、旧草津川跡地対策特別委員会委員、草津市議会ICT推進検討部会長、理学修士、国会議員公設秘書、博物館学芸員、琵琶湖博物館フィールドレポーター、草津川を守る会事務局長、草津市PTA連絡協議会会長、石山高校同窓会会長、社会福祉法人良友会評議員、岡山理科大学水質管理センター•環境資源研究センター研修生、土山マラソン•マキノ栗マラソン•琵琶湖レイクサイドマラソン出場、草津市軟式野球連盟早朝部会ジェネラルマネージャー、『江州ベースボールクラブ』代表監督兼選手、『笠縫東ヤンキーススポーツ少年団』学童野球指導者 草津市水泳連盟理事長
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2015年03月23日

ふるさと絵図勉強会

ふるさと絵図勉強会


ふるさと絵図勉強会が笠縫市民センターで開催されました。草津市内では渋川、矢倉で作られたふるさと絵図、その素晴らしさに、是非ともわが学区にも、思っていたところ、それに携わっていた母たちと話していると文化や風景が同じだし、もともと同じ学区だった笠縫学区と笠縫東学区と合同で作ったらという案がでてきました。まち協の役員さんたちに提案するといいことだと、進めていき、今日の合同勉強会となりました。私は野村町で育ったので、笠縫小学校、松原中学校に通っていました。子ども頃は、まだ、笠縫東学区はなく、笠縫学区で統一でした。今は平井町に住んでいるので、合同での活動は、ふるさとに還ったといいますか、普通の感覚です。私が育った野村町は、今、表記的には、笠縫、笠縫東、渋川、草津第二の4つの学区に別れている、人口急増地域でした。
ふるさと絵図勉強会


40年前の当時を振り返ると草津駅に行く道は、野村グランド横の下笠道しかなく、狭い道をバスや車、自転車、バイク、歩行者が行き交っていました。蒸気機関車の汽笛が鳴り、黒い煙が見え、夜は耳を澄ませばガタンガタン線路の音も聞こえていました。今はハローワークになっていますが、そこの田んぼの用水路の脇の柳の木などに毎日のようにカブトやクワガタをとりに行ってました。もう少し北へ行くとうっそうとした林に囲まれた川原池があり、よく探検したものでした。その北側には急激な坂になってる天井川の葉山川が流れていました。今住んでる家は葉山川の跡地だと分かりびっくりしたこともありました。下笠の方にいくと浜街道から西は、集落があってすぐクリークなっていて、水路や沼のような感じのところに田んぼがあり、田舟で移動していました。魚をとるための仕掛けもたくさんありました。今は草津川跡地事業でプロジェクトが進んでいますが、当時は天井川で、雨が降ると川に水が流れるようなそんな川でした。ちょうど松原中学校のところに堰堤があり、たくさんの魚が貯まっているので、よく捕まえに行きました。堰堤の壁を登っていくゴリをざるを下から上に移動させて、一網打尽にしてとってたこともありました。当然、水泳パンツになって、遊んでました。また、今はグリーンスタジアムになっているところは弾生池という林に囲まれた池で、松原中のプールの脇のところは良い釣りの良いポイントだったので、当時松原中の水泳部だったオリンピック選手の高橋先輩とも、小学生のとき、釣りをしたいた思い出があります。私の風景の記憶絵はこんな感じかな?このように、それぞれの心の中に、おのおのの記憶絵があります。地域のおじいさんおばあさんにお聞きすれば、もっともっと違う風景が描かれることでしょう。2つの学区が合同で活動するこのふるさと絵図制作は、とても楽しみです。2年で仕上がるかな?今度は笠縫東学区で開催予定です。


Posted by 伊吹達郎 at 23:05│Comments(0)
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